掃除しない日があってもいいと思えた日常の話

育児

掃除しなきゃって思い込んでた日々

私は昔から、なんとなく「家はきれいであるべき」「掃除は毎日するもの」と思い込んでいました。きっかけはきっと、実家での環境です。母はどちらかというと几帳面なタイプで、リビングは常に片付いていて、ホコリひとつ見つけたらすぐ掃除機をかけていました。

そんな中で育った私は、自然と「部屋が散らかっている=だらしない」「掃除ができていない=怠けている」という感覚が身についていたんです。社会人になってからもその意識はずっと残っていて、忙しくても、体調が悪くても、どこかで「今日は掃除できなかった…」と罪悪感を感じていました。

それでも一人暮らしの頃はまだよかったんです。自分のペースで、好きなタイミングで掃除できたし、「今日はやらない」って決めても誰にも責められるわけじゃないから。

でも結婚して、子どもが生まれてからは全然違いました。家の中は常に誰かが動いていて、オモチャや絵本があちこちに散らばって、食事のたびにテーブルや床が汚れる。自分の時間なんてほとんどない中で、「掃除もちゃんとしなきゃ」と思っていると、どんどん心が疲れていくんですよね。

それでも私は、「掃除を休む=怠けてる」という思考からなかなか抜け出せなくて。夜中に子どもが寝たあと、眠い目をこすりながら床を拭いたこともありました。夫には「もういいよ、今日は寝よう」って言われるんですけど、その言葉にもイライラしてしまって。「私がやらなきゃ、誰がやるの?」って、どこかで思い込んでいました。

「ちゃんとしなきゃ」の呪縛

子どもが生まれてからの私は、とにかく「ちゃんとしなきゃ」の気持ちに追われていました。

部屋が散らかっていると、なんだか落ち着かない。

汚れたお皿がシンクに溜まっていると、「私、ダメだなぁ」って思ってしまう。

自分でも、完璧主義なところがあるとは思ってたけど、育児が始まってからその傾向がさらに強くなった気がします。

“ちゃんとしたお母さん”っていうのは、部屋をいつもキレイにしていて、子どもにも丁寧に関わって、ちゃんとした食事を作って、仕事と家庭をバランスよく回せてる、みたいな理想像が自分の中にあって。

SNSでそういう人の投稿を見るたびに、「あぁ、私とは違うな…」「なんで私はもっと頑張れないんだろう」って落ち込んでいました。

部屋の写真を撮るときも、「あ、ここにホコリある…」「この角度じゃ洗濯物が写っちゃう」って気にしてしまって、気軽に残せるはずの育児の記録も、なんとなく億劫になっていって。

でも、ある日ふと思ったんです。

「誰が“ちゃんとしてる”って決めたんだろう?」って。

ある日の気づきと転機

そんな「ちゃんとしなきゃ」呪縛の中で過ごしていたある日。

子どもとお昼寝から目覚めたあと、リビングの床にはおもちゃが散乱し、テーブルには朝食の食器がそのまま。

洗濯物も干しっぱなしで、私はというとソファに倒れ込んでスマホをぼーっと眺めていました。

「…ああ、また今日も何もできてない」

自己嫌悪で押しつぶされそうになりながら、なんとなくSNSを開いたら、ある投稿が目に入りました。

それは、同じくらいの年の子どもを育てているママが書いたもので、「今日は何も片付けられなかったけど、子どもといっぱい笑った1日だった」という一言が添えられていたんです。

その瞬間、なんか胸がぎゅっとして涙がこぼれました。

「何もしてない」と思っていたけど、私も子どもと笑っていたじゃん、寝顔に癒されて、成長を感じて、ちゃんと向き合ってたじゃんって。

それが、自分をゆるめる最初のきっかけでした。

部屋より、心を整えることを優先した日々

それからというもの、少しずつ自分の中の「ちゃんとしなきゃ」をゆるめていくように意識しました。

最初はやっぱり怖かったです。「だらしない母親」って思われるんじゃないかとか、子どもに悪影響なんじゃないかって。でも、その恐れよりも、毎日怒ってばかりいる自分の方が嫌だったんです。

まず私が決めたのは、「部屋の完璧な片付け」よりも、「心の余裕」を優先すること。

たとえば…

  • 洗濯物はとりあえずソファに置いとく(夜に余裕があったらたたむ)
  • 食器は昼寝の時間か寝かしつけ後に洗う(それまではシンクに置いとく)
  • 掃除機は毎日じゃなくていい(週2回でOK!)
  • その代わり、お茶をゆっくり飲む時間はつくる

こんなふうに「今、私は何を優先したい?」って問いかけるようになってから、ちょっとずつ生活がラクになっていきました。

そして不思議なことに、心に余裕が出てくると、以前よりも家事に対して前向きな気持ちが戻ってきたんです。

「やらなきゃ」じゃなくて、「やってもいいかも」って思えるようになってきた。これって本当に大きな変化でした。

家族との関係にも、思わぬ変化が

私が“完璧”をやめて“余裕”を選ぶようになってから、家族との関係にも少しずつ変化が出てきました。

一番大きかったのは、子どもに対して笑顔で接する時間が増えたこと。

前は「ご飯食べた?」「おもちゃ片づけて」なんて、口を開けば命令口調になっていたけど、今は「楽しかったね」「あとで一緒にやろっか」みたいに、会話がやわらかくなった気がします。

夫にも、「最近なんか楽しそうだね」って言われました。

家の中が多少散らかっていても、笑っている私を見て、安心するって言われたときはちょっと泣きそうになった。

「頑張って家をキレイに保つ=良い母、良い妻」って思い込んでいたけど、それよりも「笑っている私」でいることの方が、よっぽど家庭の雰囲気を明るくするんだなって。

完璧に掃除されたリビングより、笑顔があるリビングのほうが、家族にとっては居心地がいい。

そんな当たり前のことを、やっと実感としてわかった気がしました。

掃除をゆるめるための「自分ルール」

「掃除をしない日があってもいい」と思えるようになったとはいえ、まったく何もしないと逆にモヤモヤする日もありました。

だから私は、“自分が気持ちよく過ごすためのゆるルール”をいくつか決めるようにしました。

たとえば:

  • 掃除は朝の10分だけでOKにする
    「今日はここだけ」と決めて、10分でタイマーをかけてやるようにしたら、気持ちもラクになりました。時間を決めると、逆に集中できてサクッと終わるし、「やった感」もちゃんと得られます。
  • “気になった時だけ”ルールを導入
    前は「毎日この順番で掃除する」ってルーティンがあったけど、それをやめました。目についたときにサッとやる。たとえば洗面所の水垢が気になったら、手が空いたときにサッとスポンジでこするだけで終了。これだけでも十分キレイに見えるんですよね。
  • 子どもと一緒にやれる範囲にする
    子どもが起きている時間は、掃除もままならない…っていうのは本音。でも「一緒にやる」ことで意外と解決することもあります。掃除機を“車”に見立てて一緒に押してみたり、クイックルワイパーを「床拭きごっこ」にしてみたり。遊びながらの掃除は、私の気持ちも軽くなります。
  • 掃除しない日を「ちゃんと休む日」として認める
    「やらない」んじゃなくて「休む日」って思うだけで、罪悪感が減るんです。不思議だけど本当の話。しかも、次の日の掃除がちょっとだけ楽しみになることもあります。

この「自分ルール」があることで、私は“やらなきゃ”に追われることなく、自分の生活を自分のペースでまわせるようになってきました。

掃除しない日が“好き”になれた理由

前は「掃除してない=ダメな自分」みたいに感じてたのに、今では逆に「掃除しない日、最高!」って思えるようになった日もあります。

それには、いくつかのきっかけや理由がありました。

自分のための時間が生まれた

掃除に費やしていた時間を、自分のために使えるようになっただけで、心の余裕がグッと広がりました。

たとえば、

  • コーヒーを入れて10分ゆっくりする
  • スマホで好きな記事を読む
  • 子どもと絵本を1冊読む
  • 鏡の前でスキンケアに時間をかける

ほんの数分でも「自分のためだけの時間」ってすごく特別。掃除よりずっと満たされるし、「今日もいい1日だな」って思えるようになるんですよね。

子どもとの時間が増えた

掃除を頑張ってたころって、子どもが「ママ、見て!」って言ってきても、「ちょっと待って、今掃除中だから」ってつい返しちゃってたんです。でも掃除を後回しにしたら、その「ちょっと待って」を減らすことができました。

子どもって、「今この瞬間」を生きてるんですよね。掃除より、その“今”に向き合えたほうが、絶対大事だって気づきました。

部屋が完璧じゃなくても、誰も困らなかった

実はこれが一番大きかったかもしれません。

「部屋が少し散らかっていても、誰も文句なんて言わない」

「ホコリがあっても、家族は普通に元気に過ごしてる」

…これに気づいた時、なんか肩の力がスーッと抜けたんですよね。

私だけが「完璧な母親像」にとらわれてたんだなって。

「ちゃんとしなきゃ」を手放したら、家族が優しくなった気がした

掃除をゆるめてから、少しずつ家の中の空気が変わった気がします。

前は私自身がいつもピリピリしていたから、ちょっとしたことでも家族にイラッとしてたんです。

「そこ靴下脱ぎっぱなしにしないで」

「またおもちゃ出しっぱなし?」

「なんで誰も手伝ってくれないの?」

でも、よくよく考えたら、家族って敵じゃないんですよね。

「自分ひとりで背負いすぎてたんだな」って気づいてから、力を抜けるようになりました。

子どもへの接し方が変わった

前は、子どもが散らかすたびにイライラして、「なんで片付けないの!」って怒ってました。

でも、掃除に対する考え方が変わってから、「まあ、あとで一緒に片付ければいっか」って思えるようになったんです。

そしたら自然と、怒ることが減って、子どもも機嫌がよくなる日が増えた気がします。

子どもって、ママの表情や口調にすごく敏感ですもんね。

パートナーとの言い合いも減った

以前は「私ばっかり家事してる」っていう不満がたまって、ちょっとしたことでパートナーにキツく当たってしまってました。

でも今は、掃除を完璧にやろうとしなくなったことで、「なんでやってくれないの!」みたいな気持ちが減ったんです。

むしろ「今日は一緒にやろう」って声をかけられる余裕が出てきて、ちょっとずつ手伝ってくれるようにもなってきました。

散らかった部屋と“心のゆとり”の意外な関係

以前の私は、部屋が散らかっていると落ち着かなくて、イライラしたり焦ったりしていました。

「こんな部屋じゃダメだ」

「片付いていない=私はちゃんとしてない」

そんなふうに、自分の価値まで部屋の状態にくっつけていたんです。

でも実際は、部屋が散らかっていても何も困らない日ってたくさんあるんですよね。

「部屋がきれい=いい母親」じゃない

SNSを見てると、ピカピカのリビングにおしゃれなインテリア、おもちゃもきちんと収納された子ども部屋…。

「これが普通なのか」と思ってしまうけど、よく考えたら、みんながみんなそんな暮らしをしてるわけじゃないし、それができる日とできない日があって当然。

私は少なくとも「今は育児で精一杯」な時期。

だからこそ、「今できることをやる」くらいのゆるいスタンスでちょうどよかったんです。

完璧じゃない家のほうが、安心する

家って「くつろげる場所」であってほしいと思っていたのに、私はどこかで「整っていなきゃ恥ずかしい」って思ってたんですよね。

でも、自分の中のその基準を手放してみたら、家族も私自身もリラックスできるようになってきました。

ちょっとくらいおもちゃが出ててもいいし、キッチンが片付いてなくても命に関わるわけじゃない。

完璧じゃない空間だからこそ、「ここが我が家だな」って思えるようになったんです。

週末にちょっとだけ整える“マイルール”

「掃除を毎日がんばらなくてもいい」と決めたとはいえ、やっぱり部屋がぐちゃぐちゃのまま何日も過ぎると、さすがに気分が落ち込んでしまいます。

だから私は、自分なりの“ゆるいルール”を作ってみました。

「土曜の朝だけ15分だけ掃除する」って決めた

たとえば、土曜の朝。子どもがテレビに夢中になってる時間に、私はタイマーを15分セットして動きます。

・リビングのおもちゃをざっとかごに入れる

・床に落ちてるものを拾う

・洗面所をちょっと拭く

ほんの少しだけ、目につくところだけ。

完璧じゃなくていい。

でも「ちょっとやった」という感覚があるだけで、すごく気持ちが軽くなるんですよね。

ルールを“守る”より“楽しむ”ことを意識

このルールだって、守れない週もあります。

でも「できなかった」とは思わずに、「今週はリラックス優先だった」と考えるようにしています。

私にとって大切なのは、掃除の達成感よりも、“自分の心の余白”。

だから、「やる」ことより「やらないときに罪悪感を持たない」ことの方が、今の私には大切なんです。

子どもがいるからこそ“散らかってもいい”と気づけたこと

散らかる部屋には、今しかない「思い出」が詰まってる

子どもがいると、どうしても部屋は散らかります。

積み木が床に転がっていたり、ぬいぐるみがソファに並んでいたり、絵本があちこちに置いてあったり。

昔の私は、それを見るたびに「片づけなきゃ」「また汚されてる」とイライラしていたけど、

ある日ふと思ったんです。

この光景って、もしかしたらあと数年で終わってしまうんじゃないかなって。

成長すれば自然と自分で片づけるようになるし、

おもちゃで遊ばなくなる日だってきっと来る。

ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて「ママにも抱っこして」って言ってくれる日々は、今だけかもしれない。

そう思ったら、その散らかった部屋さえも、ちょっと愛しく感じられるようになりました。

「片づける時間」より「一緒に笑う時間」

私は今、片づけを後回しにして子どもと遊ぶ時間を優先しています。

パズルを一緒に完成させて、「できたね!」ってハイタッチする。

お気に入りの絵本を5回連続で読まされてクタクタになる。

おままごとのご飯を「おいしい〜!」って全力で食べるフリをする。

掃除よりもずっと大切なことが、毎日たくさん転がってるんだなって、今はちゃんと感じられるようになりました。

もちろん、家事ができないことでイライラする日もあるけど、

「全部ちゃんとやらなくていい」と思えるようになっただけで、心が少し自由になりました。

“ちゃんとしなきゃ”を手放すためにしたこと

理想の自分像を手放す練習

私はずっと「きちんとしたママ」「ちゃんと家を整えている人」でいたいって思っていました。

SNSで見るような、いつも整っていて、子どもとの暮らしを楽しんでる人。

ご飯も手作りで、部屋もきれいで、子どもに優しくて…

そういう“理想のママ”を無意識に目指していた気がします。

でも現実は、子どもが言うことを聞かなくてイライラしたり、

洗い物が溜まりすぎて途方にくれたり、

寝かしつけの途中で寝落ちして朝までメイク落とさず寝てしまったり…。

全然「ちゃんとしたママ」なんかじゃなかったけど、

それが“私”なんだと思うようにしました。

できてない日があってもいいし、むしろその方が人間っぽくて私は好きです。

「今これでいい」と声に出してみる

ある日から、私は心の中でこう言うようにしました。

「今日はこれでいいや」

「疲れてるからやらなくていい」

「後でやるから今はやらない」

そうやって、自分に許可を出す練習を始めました。

すると不思議と罪悪感が減って、代わりに「明日ちょっと頑張ろう」って思えたり、

「疲れてるから何もしないで寝よう」って潔く休めるようになりました。

自分を追い込みすぎないって、本当に大事。

育児って、頑張らなくても“ちゃんとしてる”って思っていいと思うんです。

家事に完璧を求めないための工夫

「誰も見てない」って思ったらラクになった

ある日ふと思ったんです。

「誰かに見せるために、こんなに必死に掃除してるんだっけ?」って。

確かにお客さんが来る予定があるときは、家をきれいにしておきたい気持ちはあります。

でも、普段の生活って、結局自分と家族が過ごすだけの空間。

それなら、ちょっとくらい部屋が散らかっててもいいじゃん、

洗い物が夜まで残ってても、別に命に関わるわけじゃないし、

洗濯物がたたまれてなくて山になってても、着る服があればいい。

誰にも迷惑かけてないなら、そこまで頑張らなくていいと思えるようになってきました。

むしろ、「ちょっと散らかってるくらいが落ち着くね」なんて思えるようになった自分が、

なんかおもしろくて、好きになりました。

優先順位をつけて「やらないこと」を決める

以前の私は、やることが多すぎていつもバタバタしてました。

子どものごはん、洗濯、掃除、仕事、連絡帳の記入、お迎え、夕食準備…

全部を完璧にこなそうとするから、毎日疲れ果ててました。

でもある日、手帳に「今日やること」と「今日やらないこと」を書いてみたんです。

たとえば、

やること:

  • 保育園の支度
  • 食料品の買い出し
  • 洗濯回す(干すだけ)

やらないこと:

  • 床掃除
  • SNSチェック
  • 夜ごはん作り(デリバリーにする)

こうやって書き出すことで、自然と「これは今日はスルーでOK」と思えるようになって、

心がとても軽くなりました。

自分の中の“やらなきゃ”を見える化すると、手放すのも上手になるんですね。

子どもに“ちゃんとしたママ”を見せる必要はある?

「ちゃんとしてる=いい母親」って本当?

子どもができたとき、自然と「ちゃんとした母親にならなきゃ」って思ってました。

・部屋は常に片付いていて

・食事は栄養バランス満点の手作りで

・笑顔で優しくて、怒らないお母さんで

・子どもにとって安心できる存在で…

でも正直、そんなの無理ですよね。

最初は、子どものおもちゃが散らかってるだけでイライラしたり、

自分の食事よりも子どもに気を取られてごはんを抜いたり、

理想の母親像に自分を無理やりはめようとして、どんどん苦しくなっていきました。

でもある日、子どもがぬいぐるみと一緒にソファでぐちゃぐちゃになって寝てるのを見て、

「ああ、この子は今、幸せなんだな」って思ったんです。

床におもちゃが散乱してても、

ごはんが冷凍ストックだったとしても、

ママが横でニコニコしてくれてたら、それだけで子どもは安心する。

それから、「ちゃんとした母親」じゃなくて、

「この子にとっての心地いい母親」でいたいと思うようになりました。

弱い姿を見せることも、大事なことかもしれない

「お母さんは強くて偉くて、なんでもできる」

そんな風に見られたい時期もありました。

でも、子どもにとって本当に大事なのは、

“失敗しても立ち上がる姿”を見せることなんじゃないかと思うんです。

疲れた日は「ママ今日はしんどいんだ〜」ってゴロゴロしてるし、

うまくいかないときは「うまくいかないねぇ〜」って笑ってる。

そんな姿を見て、「大人だって毎日完璧じゃなくていいんだ」って

思ってくれたら、それだけでいいなって。

子どもが将来、自分に優しくできる人になってほしいから、

まずは私が、自分に優しくする姿を見せていきたいと思いました。

手抜き=悪じゃないと気づけた日常のリアル

「ちゃんとやる」から解放されたら、笑顔が増えた

以前の私は「手抜き=ズボラ=ダメな母親」だと思ってました。

例えば…

  • 冷凍食品を出す日は罪悪感
  • 洗濯物をたたまず山積みにしていると自己嫌悪
  • 掃除を後回しにすると「なんでちゃんとできないんだろう」と落ち込む

でも、ある日パートナーにこう言われたんです。

「そんなに完璧にやらなくていいよ。イライラしてるより笑ってる方がいいじゃん」

ハッとしました。

家がピカピカでも、私がイライラしてたら意味がない。

逆に、部屋がちょっと散らかってても、私がニコニコしてた方が、

子どもにとっても居心地がいいんじゃないかと。

それからは、手を抜くことに罪悪感を持たないように心がけてます。

  • 冷凍餃子でも「今日はおいしいね〜」って笑って食べる
  • 洗濯物は干したままでもOK!着る時に取ればいい
  • 掃除機は毎日じゃなくても大丈夫。気になるときにやればいい

そんな風に「ちゃんとやらなきゃ」から少しずつ解放されていくうちに、

なんだか子どもも穏やかになった気がします。

「ママ、ニコニコしてるときが一番好き」と言われたときは、泣きそうになりました。

家事を“タスク”じゃなく“暮らし”として見るように

少しずつ、家事を「終わらせるもの」ではなく「暮らしの一部」として見れるようになってきました。

「洗濯を終わらせなきゃ」ではなく、

「お日様の匂いがするタオルって気持ちいいなぁ」

「ごはん作らなきゃ」じゃなく、

「この間の味付け美味しかったって言ってたな、また作ろうかな」

そうやって、義務感から楽しさに気持ちをスライドさせるだけで、

気持ちもぐっと軽くなるし、自己肯定感も自然と上がってきたんです。

もちろん毎日そうはいかないけど、

「暮らしって悪くないかも」って思える瞬間が増えました。

他人と比べない暮らし方を見つけるまで

SNSの中の「キラキラ生活」に疲れてた

正直に言うと、SNSを見ては落ち込む日々がありました。

  • インスタでおしゃれな部屋を見るたび、「うち汚いな…」
  • 作り置きやお弁当の写真を見ては、「手抜きしてる自分ダメだな…」
  • いつも笑顔で余裕そうなママアカウントを見ては、「私、全然できてない」って

自分と誰かを比べて、勝手に落ち込んで、またイライラして。

子どもに当たってしまったこともあります。

でも、ある日ふと「この人たちは“私の生活”をしてるわけじゃない」と気づいたんです。

たとえば、我が家には小さい子がいて散らかるのが当たり前。

キラキラした部屋は、もしかしたら子どもがいないかもしれないし、

専業主婦で時間に余裕がある人かもしれない。

背景が違うのに、同じ土俵で比べても意味がないんですよね。

それに、「頑張ってるように見せてるだけ」の投稿もあるかもしれないし、

そもそもSNSって“いいところ”を見せる場所なんだから、比べる方が損なんだなって思いました。

それからは、必要な情報を探すとき以外はあまり見ないようにしてます。

「よそはよそ、うちはうち」って言葉、すごく大事だなって実感しました。

自分の「心地よい」が基準になったら、楽になった

SNSや他人の目を気にしすぎていた頃は、

「こうすべき」「こう見せたい」にばかり意識がいってました。

でも今は、

「自分と家族が心地よく暮らせてるかどうか」

それだけが基準です。

  • 洗濯物がたたまれてなくても、家族が文句を言わないならOK
  • 夜ごはんが冷凍うどんでも「おいしいね」と笑えたらOK
  • 掃除が行き届いてなくても、転ばなきゃOK(笑)

そうやって“理想”よりも“現実の満足”を大事にするようになったら、

すごく肩の力が抜けました。

自分の中の“ものさし”が他人の目じゃなくなった瞬間、

暮らしが少しずつ自分のものになっていった気がします。

頑張らない工夫と我が家のゆるルール

完璧を目指さないための「やらないことリスト」

家事や育児、仕事って「全部やろうとすると終わらない」って本気で思います。

だから私は、完璧を目指すよりも「やらないことを決める」ようにしました。

例えば…

  • **毎日は掃除しない。**汚れが気になったときにだけ掃除する。
  • **アイロンはかけない。**しわになりにくい服しか買わない。
  • **無理して自炊しない。**疲れた日は冷凍食品やお惣菜に頼る。

これって一見「ズボラ」って思われがちだけど、

自分の中では「暮らしの余白を作るための選択」なんです。

やらないことを決めるって、実はすごく前向きなことだと思ってます。

家族みんながラクになる「ゆるルール」

我が家では“みんなで頑張る”んじゃなくて、“みんなでラクする”を大事にしてます。

  • 洗濯物はたたまない。各自のかごにポイして終わり。
  • 子どものおもちゃは、夜寝る前だけ片づければOK。
  • 夕飯は週2回くらい“各自で適当に食べる日”を作ってる。

こういう“ゆるルール”を最初は私だけがやってたけど、

だんだん家族もそれが当たり前になって、文句も言われなくなりました(笑)

「ラクすること」って、最初は少し罪悪感があるけど、

習慣になってしまえば、誰も責めないし、みんながハッピーになれます。

散らかっていても、気にしすぎないための考え方

「片づけなきゃ」に支配されすぎてた過去の私

昔の私は、部屋が散らかっていると「私ってダメな母親かも」って思ってしまってました。

洗濯物が山のように積まれていたり、

床に子どものおもちゃが転がっていたり、

シンクに洗い物がたまっていたりすると、なんだか心まで汚れていく気がして…

本当は「今日は疲れてるし、やらなくてもいい」って思っていたのに、

心のどこかで「母親なんだから」「ちゃんとしなきゃ」って自分を追い詰めてたんです。

でも、あるとき気づいたんですよね。

散らかってても子どもは元気だし、私も笑えてたらそれで十分じゃない?

家の中が少しぐらいごちゃついてても、

私がイライラしてピリピリしているより、

笑って過ごせる方が何倍も幸せなんだって、やっと思えるようになりました。

「きれいな部屋」より「心が穏やかな時間」を優先したい

今でも、床におもちゃが散らかってる日はよくあります。

でも、「明日やればいいや」と思えるようになっただけで、

気持ちがものすごく軽くなりました。

やらない選択をしたときに、

「罪悪感」ではなく「今日は頑張らないと決めた」って

自分をちゃんと認めてあげることが大事だと思ってます。

暮らしを楽しめるようになった転機

完璧を求めないと決めた日

私が「暮らしを楽しめるようになった」と感じ始めたのは、

ある意味“諦めた日”だったかもしれません。

「毎日きれいな部屋で、栄養バランスの整ったごはんを出して、子どもとたくさん遊んで、仕事もちゃんとして…」

そうやって全部を完璧にやろうとするのをやめたとき、

少しずつ、自分の気持ちに余裕が生まれました。

完璧じゃない日があってもいいし、

疲れた日はお惣菜だっていいし、

子どもがYouTubeを見てる時間に少し横になるのもアリ。

そう思えるようになったら、

急に生活に「遊び」と「楽しさ」が戻ってきた気がしました。

毎日を「義務」から「選択」に変えた

たとえば…

  • 掃除を「やらなきゃ」から「気持ちよく過ごすためにやろう」に変えた
  • 料理を「ちゃんと作らなきゃ」から「今日は楽してみよう」に変えた
  • 自分の時間を「子どものために削らなきゃ」から「私が元気じゃないと意味がない」に変えた

それだけで、同じ日常が全然違うものに見えてくるから不思議です。

暮らしを楽しむためにやっている、小さな工夫たち

1. 「見た目」から入るのも、全然アリ

たとえば、スーパーの総菜をそのままパックで出すんじゃなくて、

お気に入りのプレートに盛り付けてみるだけで、ちょっと気分が上がる。

私は、安くてかわいい器をいくつか揃えておいて、

疲れてごはんを作りたくない日こそ、それに盛りつけてます。

「ラクしてるのに、なんかいい感じ」って思えるから、

罪悪感も減って、むしろごきげんに。

人によっては「見た目なんて意味ある?」って思うかもしれないけど、

私は“気持ちの切り替えスイッチ”として、すごく大事にしてるポイントです。

2. お気に入りの香りを1つ決める

アロマや柔軟剤、ハンドクリームでもなんでもいいんだけど、

「これを使うとちょっと気持ちが落ち着く」っていう香りをひとつ決めておくと、

慌ただしい日常の中で、自分を取り戻すきっかけになる。

私の場合は、洗濯のときにラベンダーの香りの柔軟剤を使うこと。

干し終わったタオルからふわっと香るだけで、

「あ〜いい香り、今日もちゃんとやれたな」ってちょっと思える。

たったそれだけなんだけど、すごく大事な「ごほうび時間」。

3. 朝一番のコーヒータイムは、誰にも譲らない

どんなに忙しくても、どんなに子どもが早起きしてても、

私は朝の10分間だけ、自分のためにコーヒーを淹れる時間を確保してます。

それをやらないと、なんか一日ずっと「追われてる感」が抜けない。

逆に、それができただけで、

「あ、今日はちょっといい感じかも」って思える。

子どもがぐずってても、バタバタしてても、

できるだけ、その時間だけは自分を優先していいって決めてる。

「暮らしを楽しめていない」と感じる日のサイン

正直、暮らしを楽しむって、ずっと続くわけじゃないです。

どんなに意識してても、「あれ?なんか最近疲れてるな」って気づく瞬間がある。

私にとっての“暮らしが楽しめていないサイン”は、こんな感じです。

● スマホばかり見てしまう

なんとなく疲れてて、現実逃避のようにSNSをずっと見ちゃう日。

「誰かの暮らし」がやたらキラキラして見えて、

自分がすごくみじめに感じることもある。

でも、それってたいてい“自分の暮らし”と向き合えてないサイン。

「疲れてるんだな」って認めて、

スマホを置いて、目の前のことを1つだけやってみると、

少しずつ回復してくる。

● イライラの原因がわからない

なんかイライラする。家族にあたってしまう。

でも、何が原因なのか自分でもわからない。

こういうときも、実は「暮らしを楽しむ余白」がなくなってる証拠。

私の場合は、タスクに追われて余裕がないときにこれが出やすい。

そんなときは、思い切って“何もしない時間”をつくる。

最初は罪悪感もあるけど、

結局その時間が回復のために一番必要だったりする。

「丁寧な暮らし」を他人と比べないために意識していること

SNSやテレビ、雑誌で目にする「丁寧な暮らし」って、

なんだか憧れるし、「私もこうしなきゃ」って焦ったことが何度もあります。

でも、私はあるときから 「その暮らし、私の人生に合ってる?」 って立ち止まるようになりました。

他人の正解は、自分の正解じゃない。

それに気づいたとき、ようやく「丁寧な暮らし」が“形”じゃなくて“感覚”になった気がします。

● 他人のルーティンを「まねしすぎない」

YouTubeやインスタで見かける「朝のルーティン」「夜の過ごし方」。

見てるだけで癒されるし、参考になる部分もあるけど、

そのまま自分の生活に落とし込もうとすると…たいていうまくいかない(笑)

たとえば、毎朝5時に起きて白湯を飲んでストレッチしてっていう暮らし、

正直、子どもが夜泣きしてたら無理なんです。

「できない私がダメ」じゃなくて、

「今の私には合ってない」って気づくこと。

その気づきが、比べない暮らしの第一歩になりました。

● 「見栄えより、自分の心地よさ」を選ぶ

部屋のインテリアも、ご飯の盛り付けも、

つい“誰かの目”を意識しすぎていた時期がありました。

でも、片付けに追われてストレスが増えたり、

子どもに「まだ食べちゃダメ〜」って写真のために言ってる自分に、ある日ハッとしたんです。

そこからは、自分と家族が心地いい暮らしが最優先。

SNSに出さない日常こそ、私たちらしさがあるって思えるようになりました。

「やらなきゃ」に追われない暮らしの工夫

私はこれまで、掃除も家事も“完璧にやらなきゃ”って思いすぎていました。

でも、今は「今日は無理しないでおこう」と言えるようになってきました。

それだけでも、気持ちがふっと軽くなります。

最近は、“気分が乗ったときに掃除する”というスタンスを大事にしています。

たとえば、好きな音楽をかけながらとか、天気がいい日とか。

自分の機嫌と掃除をリンクさせるようになってから、やらされてる感じが減ったんです。

あとは、「1日1つだけ掃除すればOK」と決める日もあります。

リビングの拭き掃除だけ、とか、今日は玄関のたたきだけ、とか。

全部を一気にやろうとするからしんどくなるので、小分けにすると続きやすいし、達成感もあるんですよね。

「ちゃんと掃除している」じゃなくて、「自分のペースで心地よく掃除している」って感覚が持てると、暮らし全体がやさしくなる気がしています。

習慣化の小さなコツ

“掃除しない日があってもいい”って思えるようになるまでには、やっぱりちょっとずつの積み重ねが必要でした。

その中で効果があった小さな習慣を、いくつか紹介します。

まず1つ目は、「自分を責めそうになったら深呼吸」です。

「あぁ、今日もできなかった」と思ったときは、まず呼吸を整える。

落ち着いてから「じゃあ今日は何を優先しよう?」と考えるようにしています。

2つ目は、「目に入る範囲だけ整える」こと。

例えば、テーブルの上だけ片付けるとか、ソファのクッションを整えるだけでも、ちょっと気分が変わるんですよね。

完璧じゃなくていいから、“自分が心地よく過ごせる最低ライン”を見つけてあげることが大事。

そして3つ目は、「SNSの家事アカウントを見すぎない」。

誰かの“完璧な暮らし”を見すぎると、自分がだめなような気になってしまうから。

あくまで参考として、“真似したくなるときだけ”見る、くらいの距離感でちょうどよかったです。

私なりの“自分を満たす時間”の作り方

掃除をがんばりすぎていたときって、自分を後回しにしてる感覚が強かったんです。

でも今は、「自分の気分がよくなること」を暮らしの中にちょっとずつ取り入れています。

たとえば:

  • 朝、1杯のコーヒーを丁寧に淹れる
  • 窓を開けて深呼吸する
  • 好きな香りのアロマを炊く
  • お気に入りのマグカップでお茶を飲む

こういうちょっとしたことでも、“自分を大事にできている”って気持ちになります。

家がピカピカじゃなくても、私は今日心地よく過ごせた。

そう思える1日の方が、断然豊かだなって感じています。

まとめ:がんばらないことで、暮らしが整っていく

掃除って、毎日のことだからこそプレッシャーになりやすい。

でも、全部を完璧にやらなくても、生活はちゃんと回るし、心はもっと楽になります。

「掃除しない日があってもいい」って思えたとき、

自分を責める気持ちも薄れていきました。

無理してきれいにするより、心が穏やかであることの方が大事。

そう思えるようになった今、前よりも“自分の暮らし”が好きになれています。

私たちは、暮らしに追われるために生きてるわけじゃない。

暮らしを楽しむために、ちょっとくらい手を抜いても大丈夫。

そんなふうに、自分に優しくなれる毎日が続いていきますように。


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