育児と仕事に追われていた私が、暮らしを楽しめるようになった理由

暮らし

はじめに:毎日が「こなすだけの日々」だった

子どもが生まれてからというもの、毎日がめまぐるしく過ぎていく感覚でした。

朝起きて、保育園の準備をして、仕事へ向かい、夕方にお迎え、家に帰ったら夕食づくり、片付け、寝かしつけ…その合間に仕事のメールが来ることも。

自分の時間なんてどこにもないし、心の余裕なんてとっくになくなっていて。

そんなある日、「私、何のために生きてるんだろう?」とふと思ったんです。

子どものために頑張ってるのに、笑顔で接する余裕もない。

せっかくの時間が、ただ“やることを消化する”だけになっていることに気づきました。

でも、少しずつ意識を変えていくことで、今は「暮らしを楽しめている」と思える日が増えてきました。

ここでは、そんな私の変化のきっかけと、小さな工夫たちをお話ししていきます。

「理想の母親」像を手放した瞬間から、暮らしが変わり始めた

私がずっと苦しかった理由のひとつが、「こうあるべき」という母親像に縛られていたからでした。

朝は栄養バランスの取れたごはんを作って、洗濯は夜までに終わらせて、部屋はいつもきれいにして、子どもが泣いたらすぐに笑顔で寄り添ってあげる…。そんな理想がどこかにあったんです。

でも現実は、朝からグズグズの子どもを前にイライラしてしまったり、夕飯を作る気力がなくてレトルトに頼る日もあったり。

ある日、寝かしつけのあと泣きながら食器を洗っている自分に気づいたとき、「あ、これは違う」と思いました。

母親だからって完璧じゃなくていいし、イライラしたっていい。

「理想の母親」になろうとするのをやめた瞬間、気持ちがふっと軽くなりました。

「やらなきゃ」から「やらなくていい」を増やすこと

当時の私は、常に「やらなきゃ」が頭の中にありました。

・おもちゃは毎晩片づけるべき

・夕飯は手作りじゃなきゃいけない

・休日は子どもをどこかに連れて行かないといけない

でも、これって本当に「やらなきゃ」なんでしょうか?

ある日、「今日は片付けしない日」と決めてみたら、驚くほど心が軽くなったんです。

その分、子どもと一緒に絵本を読んで笑い合えた。

疲れて何もできなかった夜に、レトルトカレーを一緒に食べながら「今日もがんばったね」と言い合えた。

「ちゃんとしなきゃ」は、「今しかない時間」を奪ってしまうことがある。

だから私は、自分にとって本当に大切なことを優先するようにしました。

「時間の使い方」を変えたら、気持ちが整ってきた

以前の私は、朝ギリギリまで寝て、子どもを急かしながら保育園へ。

夜はぐったりして家事も中途半端、という日々でした。

でもあるとき、ほんの15分だけ早く起きて、自分のコーヒーを淹れるようになったんです。

誰にも邪魔されない静かな時間。

これが思っていた以上に心を整えてくれました。

さらに、タイムスケジュールを細かく管理しすぎるのもやめました。

「19時までにご飯」と決めると、それに間に合わなかったときに自己嫌悪がすごかったからです。

代わりに、「1時間ゆったり子どもと遊ぶ」とか「今日は洗濯はやらない」と、やることの“質”にフォーカスするようになりました。

時間の使い方を変えることは、自分を責めない時間を増やすことだったんです。

SNSから距離を置いたことで気づいたこと

子どもが寝たあと、つい開いてしまうSNS。

他のママたちのきれいな家、おしゃれな料理、子どもとの充実したお出かけ写真を見ては、「私、全然できてない…」と落ち込んでいました。

でもある日、ふと気づいたんです。

SNSって“生活のハイライト”しか映していない。

その人にも、きっと洗い物が溜まった日や、子どもに怒って自己嫌悪する日があるはず。

それからは、SNSを見る時間を意識的に減らしました。

代わりに、本を読んだり、日記を書いたり、自分自身と向き合う時間を増やすように。

すると不思議なことに、人と比べることが減って、「私は私でいい」と思える瞬間が増えていったんです。

「手を抜くこと=サボること」じゃないと知った

“丁寧な暮らし”って、全部をきちんとやることだと思っていました。

でも、本当にそうなんでしょうか?

たとえば、掃除は週末だけにして、そのぶん子どもと昼寝をする。

買い物に行かず、家にあるもので適当にご飯を作る。

そんな「手を抜いた日」に限って、子どもと笑い合う時間が増えたりするんです。

手を抜いたからこそ、大切なことに目を向けられる。

そう気づいてからは、「できない自分」より「できてる部分」に目を向けられるようになりました。

「ひとり時間」を諦めないことにした

ママになってから、ひとりで過ごす時間はほとんどありませんでした。

トイレすらゆっくり入れない。

誰かの声や泣き声が常に聞こえる。

でも、心がすり減っているときほど、「ひとりの時間」は必要だと思ったんです。

だから、パートナーにお願いして1時間だけカフェに行ったり、夜の入浴中にスマホを見ないで好きな音楽を流したり、小さな“自分だけの時間”を意識的に作りました。

たった15分でも、心がスッと軽くなるんです。

そしてそのあと、子どもにも優しくなれる。

「私が穏やかでいること」が、家族にとっても一番の幸せなんだと気づきました。

子どもとの“今”をもっと味わおうと思った日

ある日、仕事で疲れて帰った夜、子どもがなかなか寝なくてイライラしていました。

「早く寝てくれないかな」と思いながら添い寝していたそのとき、

「ママ、だいすき」と小さな声が聞こえてきて…。

ハッとしました。

この子が私を求めてくれる時間って、永遠じゃないんだって。

その瞬間、涙が出そうになりました。

寝かしつけの時間は、私にとって“義務”だったけれど、子どもにとっては“安心”だったんです。

それからは、忙しい中でも「今この瞬間のあたたかさ」を大切にしようと思うようになりました。

暮らしを整える=心を整える

子育てと仕事に追われていると、部屋が荒れていくのはある種当然。

でも、部屋が散らかっていると気持ちもザワザワして、余裕がなくなってしまうことが多くありました。

だからこそ、**“暮らしを整えることは、心を整えること”**だと実感しました。

完璧じゃなくていい。

毎日きっちり掃除しなくていい。

でも、寝る前におもちゃをざっくりまとめるとか、洗い物を翌朝に回してでもシンクだけはリセットしておくとか。

ほんの少し「自分が気持ちいいと感じる場所」を作っておくだけで、翌朝の気分がまったく違うんです。

自分の“好き”を暮らしに取り戻した

仕事と育児に集中していた頃、「自分の好きなもの」に触れる時間が全然ありませんでした。

おしゃれなカフェに行くのが好きだった。

新しい雑貨を見るのが好きだった。

手帳に予定を書き込むのが好きだった。

でも、それらを封印して「今は母親だから」と我慢していたんです。

でもある日、思い切って少しだけ“自分の好き”を暮らしに取り戻してみました。

お気に入りのマグカップでコーヒーを飲む。

季節の花を一輪だけ飾る。

YouTubeでお気に入りのVlogを見る。

ほんの小さなことで、暮らしが一気に“自分らしい空間”に変わった気がしました。

母親である前に、ひとりの人間としての「私」を取り戻した瞬間でした。

「完璧じゃない毎日」が、あとから宝物になる

育児と仕事に追われていた日々、何度も「もう無理…」と感じました。

でも、そんな日でも子どもは笑ってくれたり、ママにくっついてくれたりするんですよね。

うまくいかない日、泣きたくなる日、怒って自己嫌悪した日。

そんな“完璧じゃない毎日”こそが、あとになって振り返ると宝物になる。

写真に残っていなくても、SNSに投稿していなくても、

自分の中にちゃんと刻まれている愛おしい瞬間たち。

「今日もなんとか生きた」

それだけでも、私は十分すぎるほど頑張ってる。

そんなふうに、ようやく自分を認められるようになりました。

おわりに

育児も仕事も、完璧を求めるとどうしても苦しくなる。

「理想の母親像」に近づこうとするほど、自分の未熟さや余裕のなさが気になってしまう。

でも、それでも子どもにとっては「世界でたったひとりのママ」です。

やっとの思いで作ったご飯も、どれだけ抱っこを断らずに頑張った日も、

たまに手を抜いて一緒にアイスを食べた日も、

全部がちゃんと「母としての愛情」として伝わっていると信じています。

暮らしを楽しむこと、そして自分を大切にすること。

それがきっと、子どもの心にもあたたかく残っていく。

だから今日も、肩の力を抜いて、

ちょっとだけ笑える一日になりますように。


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